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フンメルのワイマールでの地位と音楽家としての名声はヨーロッパ中に知れ渡っていた。ゲーテやシラー、メンデルスゾーン等、多くの芸術家たちと交流を持った。
 フンメルは、ゲーテと並びワイマールを訪れる人々の「目的そのもの」となっていったのである。ただし作曲作品は少なくなっていき、編曲作品やピアノ奏法といった執筆活動の方が増えていったようである。




 フンメルはワイマールでも様々な交流を行っているが、ゲーテとは定期的に会い、ゲーテの家に呼ばれることも多かった。彼の家で私的な演奏会もしばしば行われており、フンメルは、ゲーテとの交流の中で多くの未出版作品(プライベート楽曲)をゲーテに聞かせ、また献呈している。

 それらの多くはカンタータで、代表的なものとしては、下記があげられる。

S.158 ◇ゲーテの誕生日用合唱曲「今日、気高き仲間に」 1822
S.173 ◇ゲーテの誕生日用独唱曲「陽気な日は」 1827
S.177 ◇ゲーテの誕生日用歌曲 変ロ長調 1829 歌詞欠
S.180 ◇ゲーテの誕生日用独唱曲「私たちは陽気に登る」 1829 *消失
S.187 ◇ゲーテの在ワイマール50年祭用独唱曲「歌声をあげよ」 1825*消失
S.195 ◇ゲーテの誕生日用歌曲「夢は快く甘かった」 1831 *未完

 また、ゲーテのリクエストに応えて、モーツァルトの交響曲を室内楽用に編曲したり、ピアノソロ用に編曲して演奏も披露した。

モーツァルト:交響曲第40番ト短調第1楽章
フンメルによる室内楽編曲版

  • <メモ>ゲーテの詩による歌曲といえばシューベルトのものが有名だが、フンメルも歌曲において、ゲーテの詩を使用している曲がある。「Zur Logenfeier  Lasst fahren hin das Allzufluchtige」は、ゲーテのフリーメイソン活動の詩によるフンメルのリート曲である。

 ゲーテはフンメルの事を、「現代における最高のピアニスト」と称し、当時数多く現れたピアニストや、ゲーテの前で演奏したピアニストを評する時に、フンメルと比較して論じたりしています。
(*エッカーマン『ゲーテとの対話』



 1825年、旅に出なかった年、ワイマールに友人でもあるモシェレスを呼び寄せて、演奏会を企画した。その後、フンメルはわざわざ訪問してくれたモシェレスのために壮大な晩餐会を主催し、大公妃の前で二人で連弾も披露した。
 

 こうして、フンメルのワイマールでの活動は、劇場の監督のほかに、年ごとの年金募金演奏会、祝賀会、公爵家の人々やゲーテなどの地元の名士敬意を表した特別演奏会、来訪音楽家の演奏会(1829年のパガニーニがその例の代表で、招聘・準備、演奏会運営までこなしたことは前回述べた)、さらに内輪のパーティーなどを主催し、指揮に演奏に、と活躍して町中から愛される存在であった。

 フンメルは、ゲーテと並びワイマールを訪れる人々の「目的そのもの」となっていった。

 「ゲーテと会い、フンメルの演奏を聴かずには、この町の訪問は完全なものにならない」

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