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ショパンは自分の演奏法が当時の他の人気作曲家と異なっていたことに不安を抱えていた。
しかし、ワルシャワを演奏旅行で訪れた当代随一のピアニスト・フンメルの演奏を聴き、大いに感動すると共に同じタイプの演奏技法に自信を持つことができたという。ショパンはこの期に積極的にフンメルとコンタクトを取り、様々な話をした。




 1828年に大公カール・アウグストが無くなってからは、実質上は新大公としてカール・フリードリッヒが統治していたが、フンメルの崇拝者でピアノも学んでいたフリードリヒの妻マリヤ・パヴロヴナ公妃が、フンメルへの多くの支援を強化されることとなった。フンメルとは何かと馬が合わなかった管理官のシュトロマイヤーが引退を余儀なくされ、先代の愛人的存在でワイマールで長期滞在していたソプラノキャロライン・ヤーゲマンも権力を失っていった。こうした状況かになってもまだフンメルは音楽家たちの生活改善、環境の整備についての提案と要求をし続けていた。

 また、1828年という年は歴史的な出会いもあった。この年の演奏旅行は比較的短期間であったが、ベルリンからワルシャワ方面へ向けてのみのであった。このワルシャワで若い才能豊かな青年・ショパンと出会っているのだ。

 ショパンは、自分を評価してくれている地元の人たちの意見と今の自分の音楽が本当に現代の多くの人たちに受け入れられるのかどうかと悩んでもいる時期であった。そしてフンメルの演奏を聴いて確信できた。自分は正しい、と。

 フンメルはこの青年の才能を高く評価し、「今のまま自分を信じて続けなさい」と言った。ショパンのその後のピアノ協奏曲にはフンメルの影響が大いに認められる。フンメルとショパンは後年ウイーンでも再会しているが、この時はフレンドリーなフンメルの態度を友人に綴っている。

「フンメルじいさんはとても人懐っこい良い人です」(ショパン)

 また、ショパンがフンメルを非常に尊敬していたことは、1840年に知人のピアニストに宛てた手紙の中に「モーツァルト、ベートーヴェン、フンメルなどの偉大な巨匠たち」と列記されていることからも伺い知ることができるが、ショパンはフンメルの作品を高く評価しており、弟子たちにもバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの作品と並んでフンメルの作品を学ばせていた。またフンメルのピアノ三重奏曲ホ長調,Op.83はよく自分のサロンコンサートで演奏する機会の多いお気に入り作品だったという。
 ショパンの音楽の特徴である繊細なパッセージ・ワークと音符の構成は、フンメルの音楽の中にも多く見られるものである。

 面白いことにフンメルの『24の練習曲 作品125』はショパンの有名な『練習曲 作品10』と同年の出版。ハ長調から24の調性をめぐる構成もショパンと同じ。競い合ったのかと思うが、偶然だったらしい。さまざまな性格の曲が集められており、変化に富んだ小品を演奏しながら音階、オクターヴ、スタッカート、アルペジオ、対位法などが学べるよう工夫が凝らされている。

■24の練習曲より第10番ホ短調の視聴


全曲はこちら■フンメル「24の練習曲,Op.125」

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