フンメル研究ノート〜Review〜

ヨハン・ネポムク・フンメル(Johann Nepomuk Hummel)の個人研究サイトのレビューページ。CD紹介をはじめ、フンメル関連ニュース等を紹介していきます。 ●フンメル研究ノート●http://hummelnote.wix.com/hummelnote

2009年11月

祝 ヨハン・ネポムク・フンメル 生誕231年

今日はフンメルの誕生日。HUMMELhause


231年前の本日、ブラチクラヴァで生まれました。

フンメル研究ノート も 開設1周年を迎えました。右はフンメルの生家。


ブログ続けられるか?


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Johann Nepomuk Hummel(1778〜1837)
レジオン・ドヌール勲章
ワイマール白隼勲章
フランス学士院会員
ソシエテ・デザンフォン・ダポロン会員
ジュネーヴ音楽協会会員
オランダ音楽振興協会会員
ウィーン楽友協会会員
ロンドン・フィルハーモニー協会の最初期の名誉会員

モーツァルト、ハイドン、クレメンティ、アルブレヒツベルガー、サリエリに師事

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フンメルと関係のあったピアニスト−3 モシェレス

イグナーツ・モシェレス(Ignaz Moscheles, 1794523 - 1870310)はチェコの作曲家、ピアノ奏者。プラハに生まれ、ライプツィヒに没す。

 

Moschelesモシェレスは、べートーヴェン時代のウィーンで、もっとも人気のあるピアニストの一人であった。チェコのプラハの生れで、1804年から4年間、折からプラハにいて音楽学校でも教えていたヴェーバーにピアノを学んだ。その後1808年にウィーンへ戻り、対位法や作曲法を勉強し、べートーヴェンとも親交を結んだ。1814年、ウィーン会議の年には、フンメルと並んでピアニストとして声望があり、翌年からは演奏旅行に出て、1812年のロンドンでは、クレメンティやクラーマーと並ぶ名演奏家として賞讃された。1824年にはベルリンで15歳のメンデルスゾーンを教え、これが機縁で、二人は生涯を通じて親交を結ぶことになった。


 1825
年からロンドンに定住し、王立音楽学校のピアノ教授となった。タールベルクを教えたのはこの時期である。1846年にメンデルスゾーンに招かれて、彼が創立したライプツィッヒ音楽院のピアノ科の主任教授となり、終生この地にとどまって、多くの弟子を育てた。

 

結果的には、モシェレスによってウィーン奏法とイギリス奏法の伝統が、ドイツのライプツィッヒに根をおろした、とする論文もある。ウィーンの音楽批評家ハンスリックはモシェレスを評して、

 

「ピアノの古典楽派の最後の代表者であると同時に、新時代の開拓者」

 

と述べている。

 

 モシェレスは、モーツァルト、ベートーヴェン、フンメルを大変尊敬し、特に2回に渡るフンメルのパリ公演の際には様々な手伝いをしている。

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フンメルと関係のあったピアニスト−2 タールベルク

フンメルによって集約されたウィーン奏法は、その代表的な著作『ピアノフォルテ奏法の理論的・実践

的な指針詳述』(1828年出版)に示されていることは何度も述べてきたが、フンメルは、ピアノの教育者としても傑出していたらしく、多くの弟子の中では、とくにタールベルクが有名である。

 

 

 

タールベルク Thalberg, Sigismund 18121871tarlb001

 

1.学習・師事歴

 スイス生まれの作曲家。貴族の出だが、私生児として生まれたと考えられている。

 10歳の時に、ウィーンで外交官になるための準備教育と共に音楽を学んだ。音楽の基本的な手ほどきをしたのは、宮廷歌劇場のファゴット奏者ミッタークである。音楽理論はジーモン・ゼヒターに、ピアノはフンメルに師事した。その後、パリにてJ. P. プクシスとフレデリック・カルクブレンナーに、ロンドンにてモシェレスにも師事している。

 

2.作品とその手法

 16歳の時に、最初の作品を出版している。ヴィルトゥオーソの慣習に従い、自ら演奏するために、当時のオペラのアリアに基づくファンタジアを数多く作曲した。その際、メロディーはピアノの中音域に配置し、その上下に対位声部をおいたり和声づけを施す手法が多用されている。「10本の手をもつタールベルク」という戯画が残されているほど技巧に長じていた。しかし、タールベルクは大仰な演奏スタイルに偏重していたわけではなく、「ピアノによるベル・カント」を志向していた。オペラのアリアに基づくピアノ教育のための作品《ピアノによる歌の装飾技法》から、そのようなタールベルクの姿勢がうかがえる。 (以上 PTNAより)

 

3.活動

タールベルクは、フンメルの弟子の中でも最も若いひとりで、フンメルの門に入ったのは14(1826)の時であった。1830年からは早くもピアニストとしての経歴を開始し、ヨーロッパを演奏旅行した。1835年にはパリで、イギリス奏法の流れを引くカルクブレンナーにも学び、パリでも名ピアニストとしての名声を確立した。1837年にはリストと競演し、以後、生涯を通じてのライヴァルとして名声を博した。事実、19世紀の中ごろのヨーロッパで、タールベルクはリストと声価を分けるほどのピアニストだったのである。1855年には、ブラジルとハバナに演奏旅行し、その後の数年をアメリカで暮して、圧倒的な名声を博した。

 

タールベルクは音楽雑誌上でリストと論争したが、一貫してタールベルクを支持したベルギーの音楽学者フェティスは、彼の演奏について、「クレメンティに由来するイギリス奏法の絢燗たるテクニックと、モーツァルトからフンメルに受け継がれたウィーン奏法の歌うスタイルとが結合されて、フレージングや表情が、火花のようなパッセージ・ワークと共存し、融合している」と評した。

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フンメルと関係のあったピアニスト−1 ヒラー

モーツァルトにピアノを学んだフンメルは、すでに少年時代からピアノの神童という声価を得ていたが、とくにピアニストとしての名声の絶頂にあったのは、ヴァイマールの宮廷楽長時代の1820年代から30年代にかけてであった。 

フンメルは、当時もっとも名声を博したピアニストのひとりだった。同時代者で彼の弟子の一人であるフェルディナント・ヒラーによれば、

「タッチの軽いウィーンのピアノをよく歌わせ、大事な声部をくっきり浮き上がらせて、確実な指使いでむらのない明澄な響きを作り出した」

という。


 ヒラーはフンメルに連れられて死の直前のベートーヴェンを見舞っている。




そのフェルディナント・ヒラーについて
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フェルディナント・ヒラー(Ferdinand Hiller, 18111024 - 1885512日)はドイツのロマン派音楽の作曲家。フランクフルト・アム・マイン出身。

 

ユダヤ系の裕福な家庭に生まれる。アロイス・シュミットに師事し、10歳で最初の作曲を手懸ける。その後ヴァイマルに行ってヨハン・ネポムク・フンメルに師事し、ゲーテの知遇を得る。フンメルのもとでヒラーはピアニストとして大成長を遂げ、1827年にはウィーンでベートーヴェンに面会し、最初の弦楽四重奏曲を作曲。1829年にパリを訪れ、1836年まで滞在する。父親の訃報によってフランクフルトに引き返す。183918日にミラノで歌劇《 La Roinilda》が初演される。この頃オラトリオ《エルサレムの崩壊 Die Zerstorung Jerusalems》にも着手する。

 

その後ライプツィヒを訪れ、かねてからの親友フェリックス・メンデルスゾーンと旧交を温め、1843年から1844年までゲヴァントハウス管弦楽団を指揮、自作のオラトリオも初演した。宗教音楽の研究のためにイタリアを隈なく訪ねた後、1845年に歌劇《夢 Ein Traum》を、1847年には歌劇《コンラーディン Conradin》をそれぞれドレスデンで初演した。指揮者として1847年にデュッセルドルフを、1850年にケルンを訪れ、1851年と1852年にはパリのイタリア劇場でも指揮を執った。ケルンでは指揮者として采配を振り、ケルン音楽院の院長に就任。1884年に勇退し、翌年の暮れに他界した。

 

ヒラーは頻繁にイングランドを訪れている。ロイヤル・アルバート・ホール落成式のための作品を作曲したほか、《 Nala》と《 Damayanti》はバーミンガムで演奏された。1871年には、自作による一連のピアノ・リサイタルがハノーヴァー・スクエアルームで催された。

 

ヒラーは完成された演奏技巧を身につけたピアニストであり、作曲家としてはあらゆる楽種を網羅しているが、作品はだいたい無味乾燥である。優秀なピアニストにして音楽教師であり、時には音楽を主題として健筆をふるった。200曲にのぼる作品には、6つのオペラと2つのオラトリオ、いくつかのカンタータや数多くの室内楽、かつては人気を集めたピアノ協奏曲1つがある。ショパンと親交があり、作品を献呈されていることや、ショパンをメンデルスゾーンとともにライン音楽祭に招待したことでも有名。

(以上 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

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フンメル研究ノートというサイトは、クラシック音楽鑑賞を趣味とする一個人が、ヨハン・ネポムク・フンメルの音楽の魅力に取り付かれ、永年かけて収集した情報・データをメモ代わりに掲載している「フンメル研究ノート」のレビューページにあたります。フンメル研究ノートは、あくまでもCD解説、書籍、辞書などから集めた情報を盛り込んだ継ぎはぎの情報を集めたものですので、事実とは違っていたり、解釈が違っている箇所も多いと感じていますが、もっと多くの日本人にフンメルの音楽の魅力を知ってもらいたいと思い公開しています。もっとフンメルの情報が知りたい。またはご興味がある方は、本サイト「フンメル研究ノート」を覗いてみてください。よろしくお願いいたします。

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