フンメル研究ノート〜Review〜

ヨハン・ネポムク・フンメル(Johann Nepomuk Hummel)の個人研究サイトのレビューページ。CD紹介をはじめ、フンメル関連ニュース等を紹介していきます。 ●フンメル研究ノート●http://hummelnote.wix.com/hummelnote

2012年10月

今日はルイ・シュポーアの命日です。

LouisSpohr今日はルイ・シュポーアの命日です。没後153年。

ルイ・シュポーア(Louis Spohr, 1784年4月5日 ブラウンシュヴァイク - 1859年10月22 日 カッセル)

本来の氏名はドイツ語でルートヴィヒ・シュポーア(Ludwig Spohr)というそうです。


没後150年の年に向けて多くの録音がなされましたので、最近ではあらゆるジャンルの彼の作品を聞くことができるようになりました。作風などの感想は過去に記載しました(珍味なソナタ シュポア唯一の「ピアノソナタ」)が、陰々鬱々としてなかなか盛り上がらない、

我慢の美学? 的音楽。

もしくは

言いたいことがはっきり言えない音楽? 

を書く人だという認識が、個人的に持っています。

ヴァイオリンのヴァルトォーゾですから、ヴァイオリンの為の作品が多いですが、彼はほぼすべてのジャンルに作品を残し、さらに「複合弦楽五重奏」とか、弦楽四重奏のための協奏曲とか、珍しい作品も残しています。

モーツァルトの生前に誕生し、オペラ界ではワーグナーが「タンホイザー」「ローエングリーン」「トリスタンとイゾルデ」を発表した時代も生き抜いていました。

個人的に好きな曲を紹介。
陰々鬱々なテーマが、混とんとしていって、ずっと霧がかかったような音楽....
後期の名作です。

ピアノ三重奏曲第1番ホ短調,Op.119(1841)


また、アマゾンで検索したら珍しいものもありました。こんなのもあるんですね。

1859 のルイ・シュポーア肖像画の博士の人の骨董品の印刷物
 

a8cb8b1d288c4910238bbbd99108d50e_sにほんブログ村 クラシックブログ クラシック作曲家へ
 

今日はフンメルの没年175年

196800_340431202711578_1217203016_n

 フンメル最後の10年。

 フンメルの晩年、最後の10年間は、新しい世代の音楽・演奏家に押されはじめていましたが、演奏者としては絶頂期であった。教師、楽長、音楽家としての名声はヨーロッパ中に知れ渡っており、多くの音楽家が集まり、弟子入りを希望した。

 1827年にフンメルは、妻と弟子のフェルディナント・ヒラーを伴い、死の床にあったベートーヴェンをウィーンに見舞った。

 生前、幾度となく対立・和解を繰り返してきたこの時代の二人の巨匠は、この機会で最後の和解となった。
ベートーヴェンが亡くなるとフンメルは葬儀で柩の担い役を務め、また追悼演奏会ではベートーヴェンの意志を受けて故人の作品の主題による即興演奏をいくつか行ったが、<フィデリオ>のなかの囚人の合唱に基づく演奏が最も感動を与えた、とヒラーは書き残している。

 この滞在中にフンメルはシューベルトにも会い、あるとき彼の歌曲<盲目の少年>を基に即興演奏を行って、彼を大いに喜ばせた。シューベルトは最後の3つのピアノ・ソナタをフンメルに献呈しており、彼の演奏を望んだと思われるが、これらは両者の没後に出版されたので、出版業者は献呈先をシューマンに変えた。

 1829年に年次休暇を取らなかったことから、1830年には休暇は6ヶ月となって、パリと約40年ぶりのロンドンに演奏旅行を行った。
この演奏旅行は彼の成功を最後に、以後は陰りが見え始める。その後の31年、33年のロンドン滞在では名声はすでに下降線をたどり始めていた。

 1831年の滞在は事実上パガニーニとの競争に敗れたかたちであり、モシェレスやカルクプレンナーら、フンメルのブレーンもチケットを売ることに遁走したが、苦労したらしい。作風が新しく台頭したピアニストたちに比べて「古臭い」(リスト)と思われたのだった。

 一方、1833年の滞在では主にドイツ・オペラ・シーズンの監督を務め、自作のほか、ウェーバー、モーツァルトを取り上げたが、これも圧倒的な成功には至らなかった。そして1834年のあまり成果の上がらないウィーン訪問が最後の演奏旅行となった。

 残る3年間は闘病の日々で、ほとんど活動できなくなっていた。彼の死は一つの時代の終わりと見なされ、ウィーンではその死をいたむにふさわしくモーツァルトのレクイエムが奏された。

 でも彼は膨大な遺産を妻子に残している。才能ありながら、安定を求め、宮使いになったフンメルをベートーヴェンは気に入らなかったという。もっと音楽家、芸術家として自分の魂を!  というタイプではなく、最後まで職業作曲家であった彼は、音楽が持つ雰囲気とは別に、あくまでも「古典派」の域を出なかった作曲家であった。

 没年 175年。

a8cb8b1d288c4910238bbbd99108d50e_sにほんブログ村 クラシックブログ クラシック作曲家へ

今日はフンメルの弟子のひとり、ヘンゼルトの命日です

henseltpic

知ってますか?アドルフ・フォン・ヘンゼルト(Adolf von Henselt, 1814年5月12日 - 1889年10月10日)。


ドイツ・ロマン派音楽の作曲家・ピアニストで、バイエルン王国シュヴァーバッハ(ニュルンベルク近郊)出身。ロシア帝国に渡って、今日まで続くロシア・ピアノ楽派の基礎を築いた人です。

Wikiの解説ピティナ・ピアノ曲事典上田氏の解説でよくわかりますが、同じフンメルの弟子のタールベルクやヒラーに比べると、よりフンメルの個性を継承したタイプで、リストとショパンを並べた時に、ショパンに近いような音楽を書いています。

写真だけ見ていると、ドボルジャークのお兄さんか? 想う風貌ですね。


1814年5月9日、バイエルン地方のニュルンベルクの近く、シュヴァバッハに生まれました。小さい時からピアノを習い、奨学金を得てフンメルの弟子となります。後にロシアに行って皇族の音楽教育にあたりました。

美しい音色で弾くピアニストで、その演奏の繊細さ、素晴らしさは同時代のリストやショパンも一目置いていたといいます。リストに匹敵するほどの名手だったのです。

でも彼は極度のあがり症、ステージ恐怖症だったらしく、人前ではなかなか彼の真価を発揮することはできなかったそうです。

ですから、かなりの長寿に恵まれたにもかかわらず、30歳までに作曲活動を止めてしまいます。この「あがり症」はプレシッシャーとなってしまったですかね。

ピアノ協奏曲の演奏会なのに、自分の独奏部分が来るまでステージには上がらず、舞台袖に待機していたといいますから、よっぽどですね。

作曲に続いて33歳で演奏界からも引退している。もったいない。

一人で練習しているところをこっそり聴くと、それは夢のようなカンタービレだったといいます。

写真の風貌からは信じられませんね(笑)



雰囲気わかる曲の紹介ということで、「二つの小さなワルツ」Op.28を!


フンメル研究ノート

フンメル研究ノート トップページ

フンメル研究ノートというサイトは、クラシック音楽鑑賞を趣味とする一個人が、ヨハン・ネポムク・フンメルの音楽の魅力に取り付かれ、永年かけて収集した情報・データをメモ代わりに掲載している「フンメル研究ノート」のレビューページにあたります。フンメル研究ノートは、あくまでもCD解説、書籍、辞書などから集めた情報を盛り込んだ継ぎはぎの情報を集めたものですので、事実とは違っていたり、解釈が違っている箇所も多いと感じていますが、もっと多くの日本人にフンメルの音楽の魅力を知ってもらいたいと思い公開しています。もっとフンメルの情報が知りたい。またはご興味がある方は、本サイト「フンメル研究ノート」を覗いてみてください。よろしくお願いいたします。

音楽ブログランキング
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック作曲家へ
livedoor プロフィール

フンメルの商品
記事検索
QRコード
QRコード
Hummel Noteの趣味

PHOTOHITOブログパーツ