フンメル研究ノート〜Review〜

ヨハン・ネポムク・フンメル(Johann Nepomuk Hummel)の個人研究サイトのレビューページ。CD紹介をはじめ、フンメル関連ニュース等を紹介していきます。 ●フンメル研究ノート●http://hummelnote.wix.com/hummelnote

メンデルスゾーン

11月4日 165年前の本日、F.メンデルスゾーンが亡くなった日

Mendelssohn(13)
フェリックス・メンデルスゾーン(ヤコプ・ルートヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ、Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809年2月3日 ハンブルク - 1847年11月4日 ライプツィヒ)は、ドイツロマン派の作曲家、指揮者。


私の理解するメンデルスゾーンとは、
  •  ユダヤ人で、
  •  浪漫派の中にあって古典主義、
  •  皮肉屋、
  •  ライプツィヒ・ゲヴァントハウスの指揮者、
  •  J.S.バッハとシューベルトの復興に尽力、
  •  『夏の夜の夢』序曲は17歳で作曲したという天才、
  •  ヴァイオリン協奏曲は超有名、
  •  結婚行進曲はワーグナーのものと並んで超有名、
  •  ライプツィヒ音楽院の創設者、
  •  本当の理解者は姉・ファニーだけで、彼女が亡くなったら後を追うように亡くなった、
というの人物。
 
 フンメルとのかかわりは12,3歳の時にワイマールのゲーテ訪問の時に紹介された、ということと、フンメルのピアノ演奏に感動し、その場での演奏を進められたが泣きながら断った、というエピソードのみ。

 ただ、未出版の習作品、特にピアノ協奏曲やピアノ曲にフンメルの影響は大きい。


例えば、
  • ピアノと弦楽のためのレチタティーヴォ(ラルゴとアレグロ)MWV.O 1(1820年)
  • ピアノと弦楽のための協奏曲 イ短調 MWV.O 2(1822年)
  • 2曲の2台のピアノと管弦楽のための協奏曲 ホ長調 MWV.O 5(1823年)、変イ長調 MWV.O 6
  • ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲 ニ短調 MWV.O 4(1823年) 
  • 3つのピアノ・ソナタ ヘ短調、イ短調、ホ短調(1820年)ほか、この時期の多くのピアノ小品
・・・あたりには、1810〜1819年代のフンメル協奏曲やピアノ曲に類似した主題やパッセージが多く見受けられます。

 
メンデルスゾーンの最期について、wikiではこんな説明されていますね。
「1847年(38歳) 5月訪英の途上、姉ファニーの死の報に接し、悲嘆の余り神経障害を起こす。一時回復したが11月3日には意識を失い、翌日ライプツィヒにて没した。彼は生前には特に病弱という事もなく、登山などもしていた事、フェリックスの父アブラハムも姉ファニーも似たように若くして突然亡くなっている事等から、何か遺伝的な要因があったのではないかとする説もある」


 さて、今日は一日かけてフェリックス坊やの音楽を堪能しましょう。
 
 では、私の大好きな初期の作品【2台のピアノと管弦楽のための協奏曲変イ長調 MWV.O 6】を紹介。
どことなく、同じ変イ長調のフンメルのピアノ協奏曲(Op.113)に雰囲気が似ています。

 

関連追記
荒井千裕*ピアノの音の綴り方 も是非。

メンデルスゾーン、アンデルセンとその時代 というタイトルでの記事です。
貴重で面白い内容ですよ。是非。音楽史は「退屈なものではなく、人間ドラマ何ですよ」ということを理解できます・

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フンメルと関係のあったピアニスト−3 モシェレス

イグナーツ・モシェレス(Ignaz Moscheles, 1794523 - 1870310)はチェコの作曲家、ピアノ奏者。プラハに生まれ、ライプツィヒに没す。

 

Moschelesモシェレスは、べートーヴェン時代のウィーンで、もっとも人気のあるピアニストの一人であった。チェコのプラハの生れで、1804年から4年間、折からプラハにいて音楽学校でも教えていたヴェーバーにピアノを学んだ。その後1808年にウィーンへ戻り、対位法や作曲法を勉強し、べートーヴェンとも親交を結んだ。1814年、ウィーン会議の年には、フンメルと並んでピアニストとして声望があり、翌年からは演奏旅行に出て、1812年のロンドンでは、クレメンティやクラーマーと並ぶ名演奏家として賞讃された。1824年にはベルリンで15歳のメンデルスゾーンを教え、これが機縁で、二人は生涯を通じて親交を結ぶことになった。


 1825
年からロンドンに定住し、王立音楽学校のピアノ教授となった。タールベルクを教えたのはこの時期である。1846年にメンデルスゾーンに招かれて、彼が創立したライプツィッヒ音楽院のピアノ科の主任教授となり、終生この地にとどまって、多くの弟子を育てた。

 

結果的には、モシェレスによってウィーン奏法とイギリス奏法の伝統が、ドイツのライプツィッヒに根をおろした、とする論文もある。ウィーンの音楽批評家ハンスリックはモシェレスを評して、

 

「ピアノの古典楽派の最後の代表者であると同時に、新時代の開拓者」

 

と述べている。

 

 モシェレスは、モーツァルト、ベートーヴェン、フンメルを大変尊敬し、特に2回に渡るフンメルのパリ公演の際には様々な手伝いをしている。

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フンメル研究ノートというサイトは、クラシック音楽鑑賞を趣味とする一個人が、ヨハン・ネポムク・フンメルの音楽の魅力に取り付かれ、永年かけて収集した情報・データをメモ代わりに掲載している「フンメル研究ノート」のレビューページにあたります。フンメル研究ノートは、あくまでもCD解説、書籍、辞書などから集めた情報を盛り込んだ継ぎはぎの情報を集めたものですので、事実とは違っていたり、解釈が違っている箇所も多いと感じていますが、もっと多くの日本人にフンメルの音楽の魅力を知ってもらいたいと思い公開しています。もっとフンメルの情報が知りたい。またはご興味がある方は、本サイト「フンメル研究ノート」を覗いてみてください。よろしくお願いいたします。

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