フンメル研究ノート〜Review〜

ヨハン・ネポムク・フンメル(Johann Nepomuk Hummel)の個人研究サイトのレビューページ。CD紹介をはじめ、フンメル関連ニュース等を紹介していきます。 ●フンメル研究ノート●http://hummelnote.wix.com/hummelnote

モーツァルト

イエイン・クイン/18世紀の響き

新譜の紹介です。
今回紹介するのは、ウイーン古典派のオルガン作品集です。

REGCD476イエイン・クイン/18世紀の響き
モーツァルト、ベートーヴェン、フンメルの作品集
ダブリン大学トリニティ・カレッジのオルガン演奏
THE ENLIGHTENMENT INFLUENCE
Mozart, Beethoven, Hummel. 
Iain Quinn. Organ of Trinity College, Cambridge.



オルガン曲といっても、収録曲の中で純粋にチャーチオルガンのために書かれた曲はベートーヴェンの全長調にわたる2つの前奏曲とフンメルの2作品のみで、その他のモーツァルトの曲もベートーヴェンの曲もすべて「からくり時計」の自動オルガンの為の楽曲です。

今回取り上げることの最大の理由は、私が始めて耳にすることが出来たフンメルの「オルガンのためのリチェルカーレ ホ短調,Op.Posth8」が収録されている為です。Op.Posth7の二つの前奏曲とフーガは、既にCDなどで聞くことができますし、譜面も入手できていたのでDTMでも紹介できました。
<打込音源紹介 YouTube>

さて、そのリチェルカーレですが、厳格な対位法によって作られたフガートです。上昇する半音階の主題、下降する半音階の変形主題が入り混じるバロック的な楽曲で、フンメルらしさは微塵もありません(笑) ハイドンやアルブレヒツベルガーにオルガンや対位法を学んでいた時代の課題曲か習作でしょうか? 私の持っている情報では作曲年代が不明で、遺品の中から死後の1839年に出版されたものですので、これ以上言及できません。

ともかくフンメルコレクションにもう一曲加わったということで紹介いたしました。

ちなみにモーツァルトの3曲はピアノでもオルガンでも多数の録音が出ていますので言及する必要もないでしょう。ただベートーヴェンの「5つのからくり時計のための作品集,WoO.33」は、グラスハーモニカ版で聞いたことがある程度で、これは滅多に聞けない小品集です。
しかしこれまたベートーヴェンらしさが微塵もありません(笑) 古典派のピアノ練習曲でもいいのでは?的な曲です。
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モーツァルトの命日

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本日12月5日はモーツァルトの亡くなった日です。1791年。ウイーン郊外の聖マルクス墓地に埋葬されましたが、集団埋葬だったこと、遺族が誰も立ち会わなかったことで、遺骨が不明になり、ここに埋められたであろうという場所に記念碑の墓石が設置されてます。

写真は1994年の旅行時のもの 

モーツァルトのライバルと実の息子の協奏曲集

Franz_Xaver_Mozart_(Wolfgang_Jr)_1825フランツ・クサーヴァー・モーツァルト(1791-1844、以下フランツ)は、父モーツァルトが亡くなる4ヶ月前に末息子(第6子)として誕生。5歳の時、プラハでニーメチェク(父モーツァルトの伝記作家)からピアノの初レッスンを受け、7歳の頃からピアニストを目指して父の簡単な作品を弾くようになり、同時に父のライバルとされたサリエリに歌唱と和声法のレッスンを受けます。また大巨匠のハイドンからも教育を受けたり、さらに父の一番弟子でもあり、当時すでに人気作曲家として活躍していたフンメルを初め、フォーグラーやアルブレヒツベルガーといった父と交流のある音楽家の教育を受け、後に母コンスタンツェの希望でヴォルフガング2世を名乗ってピアニストとして活躍しました。

 実際にフランツがピアニストとして最初に活躍したのは、1805年4月8日、父の友人でもあるハイドンの73回目の誕生日を祝って催された演奏会です。この時、フランツは14歳。彼は父のピアノ協奏曲および自作曲などを演奏しました。聴衆は大喝采でこの若いモーツァルトを迎え入れ、ハイドンも涙を流して拍手したと伝えられています。当時の評論も好評で前途有望かに思えましたが、父の重圧でしょうか? はたまた母コンスタンツェの期待の大きさからくるプレッシャーでしょうか? 17歳にして独立してしまいます。「父モーツァルトの名を汚さないように」と皆から言われたことが、彼にとって一生の重荷となっていったようです。とにかくウイーンから離れたかったのでしょう。とうとうポーランドに家庭教師の職を見つけ出て行ってしまったのです。当時の職業音楽家の生計事情が悪かったため、彼も父同様定職探しに奔放し、ピアノ教師になったり、演奏会を開いたりして各地を転々としています。
 
 1819年には、ウィーンを離れてから11年間会っていなかった母親と再会しましたが、その時フランツは次のように語っています。
 
「彼女は私の愛せる本当の母親になっていた」
 
  再び演奏旅行に出かけ、ドレスデンでは指揮者兼作曲家であったウェ−バーを訪問したり、プラハでは演奏会で成功収めたりしています。さらにイタリアに行った際には、当地で公務員となっていて20年間生き別れになっていた兄カルル・トマスに再会しました。

  さて、フランツはその後も各地を転々としながら定職を見つけるため活動しますが叶わずじまい。31歳に就職活動に終止符をうち、レンベルグでピアノ教師として生きていくこととなります。1841年、ザルツブルグで「モーツァルテウム」というモーツァルト財団と記念館が設立された時も館長職を希望したが叶わず、「名誉楽長」という地位に落ち着いてしまいました。翌1842年には、母コンスタンツェが79歳でザルツブルグで亡くなり、母の長寿とは逆にフランツは翌年1843年7月29日に53歳の生涯を閉じました。


フランツのピアノ協奏曲は意外と多くリリースされており、古くはヘルウィグの演奏でOPUSというレーベルから1970年代にはリリースされていました。
それ以外にも
0044747206226.團▲龍奏曲第2番が父モーツァルトと祖父レオポルドとの曲とカップリングで収録されているCD






0017042BC
▲▲鵐肇襯皀鵑離團▲里派磴梁22番とのカップリングで収録されているCD







FXMozart_1501752_DSピアノ協奏曲2曲とも収録されているNOVALISからリリースされたCD






など数種類が存在し、それらに今回のシェリーのアルバムが加わりました。

演奏はさすが、モーツァルト、ベートーヴェン、フンメル、モシェレス、カルクブレンナー他多くの作品をリリースしてきただけあって、粒が際立った若々しく華麗なピアノテクニックを聴かせてくれます。

Muzio_Clementiクレメンティの協奏曲も3種ほどリリースされていますが、これはピアノソナタのOp.33-3はもともとピアノ協奏曲であったであろう、ということで復元された曲ですので、オーケストラ部などオリジナルではありませんが、違和感なく聞くことができます。クレメンティに関しては交響曲も重厚で華麗でとっても面白いのですが、このピアノ協奏曲も同世代のモーツァルトとは違って、より現代のピアノにあう楽曲であり、部分的にはベートーヴェン的であり、第一楽章の展開部のピアノパッセージ等はクレメンティの弟子でもあるフィールドのピアノ協奏曲に出で来るようなフレーズがあり聴きごたえあります。


ハワード・シェリーのピアノと指揮での「古典派ピアノ協奏曲シリーズ」の第三弾は、F.X.モーツァルトの2曲のピアノ協奏曲と、F.X.の父 W.アマデウス・モーツァルトのピアニストとしての好敵手、M.クレメンティのピアノ協奏曲という大変面白い組み合わせのアルバムです。

第一弾でドゥシェック、第二弾はシュタイベルトと埋もれた古典派の音楽史シリーズともいえるものですが、どれも聞いていて楽しくなってしまいます。

モーツァルトと同時代の作曲家、そしてその息子の作品、マニアックですが是非多くの人に聞いてほしいなぁと思います。


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1月23日(1752年)は、クレメンティの誕生日

今日はフンメルのピアノ演奏の師であるクレメンティの誕生日。同じ師匠のモーツァルトのライバルと言われた音楽家です。

今回はピアニストで、多数の著作もある久元 祐子(ひさもと ゆうこ)さんのWebページの記事が判り易いので紹介・転用させていただきます。
ちなみにモーツァルトとの関係として書かれています。フンメルとの関わりは過去の記事をご参照ください。

以下、久元 祐子 公式サイトより
「モーツァルト」の項、「同時代の作曲家」〜クレメンティ〜 の記事紹介。

ロンドン楽壇の大御所
ムツィオ・クレメンティ(Muzio Clementi 1752 - 1832)は、ローマの銀細工師の息子として生まれました。9歳の時には早くもオルガニストとなりましたが、14歳のときイギリスに渡り、ロンドンでチェンバロなどの鍵盤楽器奏者、作曲家としてデビューしました。クレメンティは、ピアノのためのソナタ、交響曲、協奏曲、室内楽を書きましたが、作曲のみならず、楽譜の出版、ピアノの製造など幅広い音楽ビジネスの世界で成功を収めました。
自分が作曲した作品を楽譜として出版し、できるだけ沢山の人に弾いて貰おうと考えたのでしょう。やがてピアノの製作にも乗り出します。ピアノを大いに普及させて、彼自身の作品を彼自身の出版社で出版し、彼自身の会社の楽器で弾いて貰うという、相互に密接に関連した仕事のやり方を作り上げたわけです。できるだけ沢山の人に弾いて貰うためには、初心者にも簡単に弾ける作品も必要でした。
また、ピアノを学ぶ人のためのエチュードの作曲にも熱心でしたが、とりわけ全部で100曲から成る《グラドゥス・アド・パルナッスム》は、近代的なピアノ演奏技術を確立した、いわば彼のピアノ演奏思想を集大成したとも言える作品です。コンサートを定期的に開催する協会も設立し、文字通りロンドン楽壇の大御所として、長い音楽人生を送りました。
 
クレメンティの作品
クレメンティのたくさんのピアノ曲の中でとりわけ有名な作品が、「ソナチネ」です。ソナチネ・アルバムには、1798年に出版された作品36の6曲のソナチネが収められています。とりわけその第1番は、ピアノを学習される人なら誰でも一度は練習すされる曲でしょう。
しかし、クレメンティは、ソナチネだけの作曲家ではありませんでした。クレメンティはチェンバロやピアノのために作品を書いた時期は、半世紀以上にもわたっています。
また、その価値も決して二流ではありません。1784年に作曲されたと思われる、ヘ短調作品13の6のピアノ・ソナタは、ホロヴィッツの名演で知られまするが、ベートーヴェンの世界を先取りしているように思えます。全部の楽章が短調で書かれたこのソナタは、全体を厳しい緊張感が包み、同時に豊かな響きとしみじとした情感に溢れています。ホロヴィッツはクレメンティのピアノ・ソナタが好きだったようで、このほか、作品33の3、作品34の2などの作品を録音しています。
モーツァルトとの出会い
ウィーンの王宮
クレメンティモーツァルトとの出会いはただ1回だけで、それは不幸なものでした。
1781年の12月24日、皇帝ヨーゼフ2世は、王宮(右の絵)宮殿の一室でモーツァルトクレメンティを引き合わせました。モーツァルトがまだウィーンに出てきたばかりの頃でした。モーツァルト自身の手紙によると、クレメンティはソナタを1曲弾き、モーツァルトは何か変奏曲を弾き、その後、かわるがわるそのとき与えられた曲を弾いたりしたようです。
競演が終わった後の二人のお互いの印象は対照的でした。モーツァルトはお父さん宛の手紙の中で、「クレメンティは、素晴らしいチェンバロ弾きだが、単なるいかさま師で、趣味や感情のひとかけらも持っていません。要するに彼は単なる機械的演奏家なのです。」と手厳しく批判しましたが、クレメンティの方は、モーツァルトのこのときの演奏について後に「私は、あのときまであれほど魂のこもった優美な演奏を聴いたことがなかった」と回想しています。
クレメンティがこのときひいたソナタは、 作品47の2 でしたが、モーツァルトはこの曲の第1楽章のテーマを拝借し、オペラ魔笛の序曲を作曲したのでした。この引用について、クレメンティを嘲り、皮肉ったのだという見方もあります。
========
以上 wikiの原稿より面白いですよね。
では、最後に彼の「大交響曲」を聴いてみてください。ピアノ教師だけではない彼の意外な力量をご理解頂けるでしょう。
この交響曲は、ハイドンの来訪時に対抗するかのように別の連続コンサートで演奏されたようです。

Muzio Clementi - Symphony No.3 in G-major "The Great National"

 
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【打込音源紹介】モーツァルト(フンメル編)歌劇「フィガロの結婚」序曲の四重奏編曲.S.114

【打込音源紹介】モーツァルト(フンメル編)歌劇「フィガロの結婚」序曲の四重奏編曲.S.114

今日は、フンメル「選びぬかれた序曲の四重奏曲編曲集」から、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲の四重奏編、S.114

『フィガロの結婚 序曲』は、モーツァルト作曲の同名のオペラ(歌劇)で演奏される、現代でも人気の高い序曲。
流麗かつ華麗な曲調で、現代ではモーツァルトの序曲の中で一・二を争うほどの人気があり、コンサートでは序曲単独で演奏されることも多です。

フンメルの編曲はピアノソロとしても演奏できるほど他の楽器は最小限の伴奏に徹しています。

これまで、12曲の序曲編曲集より、6曲作成したものを紹介しました。残りは、またいつか(作っていません)

 Hummel,Johann Nepomuk
Arrangement from Mozart's Opera "Le nozze di Figaro" Overture,S.114
Select Overture arranged for Piano, Flute, Violin and Cello
Sequenced by Mikio Tao
Sequencer:SONAR4
Score creation:Music Pro Windows Plus
Sound:Roland HQ Synthesizer Orchestral &
Sound:EastWest Boesendorfer 290

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【打込音源紹介】モーツァルト(フンメル編)歌劇『魔笛』序曲による四重奏編曲版,S.113


今回は、フンメル:「選びぬかれた序曲の四重奏曲編曲集」から、モーツァルトの歌劇『魔笛』序曲による四重奏編曲版,S.113。

 
Hummel,Johann Nepomuk/Arrangement from Mozart's Opera"Zauberflute Overture",S.113
Select Overture arranged for Piano, Flute, Violin and Cello
Sequenced by Mikio Tao
Sequencer:SONAR4
Score creation:Music Pro Windows Plus
Sound:Roland HQ Synthesizer Orchestral

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【CD紹介】ちょっと吃驚、ヤーコプスのモーツァルト 「偽の女庭師」 K.196

 
モーツァルト:歌劇『偽の女庭師』 K.196 全曲

 ソフィー・カルトホイザー(S サンドリーナ)
 ジェレミー・オヴェンデン(T ベルフィオーレ伯爵)
 アレックス・ペンダ(S アルミンダ)
 ニコラ・リヴァンク(Br 市長)
 マリー=クロード・シャピュイ(Ms 騎士ラミーロ)
 スンヘ・イム(S セルペッタ)
 ミヒャエル・ナギ(Bs ロベルト)
 フライブルク・バロック・オーケストラ
 ルネ・ヤーコプス(指揮)

 録音時期:2011年9月
 録音場所:ベルリン、テルデックス・スタジオ
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)


 歌劇『偽の女庭師』は1775年1月にミュンヘンで初演されたオペラブッファで、18歳のモーツァルトの作品です。と言ってももう当時の作曲家より抜き出ていたので、青年期の代表作品に当たります。

 物語は、かつて恋人ヴィオランテに大怪我を負わせて音信不通にしてしまったが今はアルミンダと婚約しているベルフィオーレ伯爵の前に、サンドリーナを騙り庭師として働くヴィオランテが現れ、周囲を巻き込んで騒動になる、といったお話。モーツァルトはかなり力を入れて作曲し、初演も好評だったことが伝えられています。この作品はモーツァルトの生前にドイツ語の上演が広まり、そのためオリジナルのイタリア語オペラブッファは20世紀まで埋もれていました。近年、青年期のモーツァルトの傑作として上演が増えています。


 あえてCDを紹介するのは、このヤーコプス盤を聴いて「良かった」から。


 ヤーコプスは、既にモーツァルトの主要オペラを録音し終えていて、それぞれ話題になったり、実際演奏評価も高いものが多かったようですが、私の感想としては「溌剌さもいいけど、ねっとり男女の愛憎が絡むような演奏の方がいいかな」というものでした。例えば「フィガロ」では、マリナー盤、「ドン・ジョヴァンニ」ではカラヤン盤、「イドメネオ」ならプリッチャード&ウイーンフィル/パヴァロッティ盤などなど....。

 でも、今回、初期オペラシリーズ新譜として『偽の女庭師』 K.196がリリースされていたので、久々にじっくり聞きました。

 モーツァルトに限らず、CDでオペラを全曲通して聴くなんてことは、最近滅多になくなり年に1,2回程度です。


 それはさて置き、一番驚いたのが、その楽器編成。オペラを通して使用されている編成は、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、弦楽部で、第三曲のアリアのみフルート、トランペット2、ティンパニが追加されています。
 
 しかし、ここでの演奏は、
序曲から全編通してフルート2、オーボエ2、クラリネット2(絶対オリジナルには存在しない)、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽部という2管編成を採用しています。
 さらに、あらゆる場面でフルートやクラリネットの「今までの版では聞いたことのないソロやオブリガート」でより華やかに、色彩的に富んだ演奏になっています。
 ティンパニやトランペットの補強で、より活き活きとしたアリアに生まれ変わったり、フルートの追加で心情の変化を表したり、とまさに後期のモーツァルトの作品を聴いているようでした。

 
 版については、輸入元では下記のように紹介しています。

【版について】
この『偽の女庭師』は、1775年にミュンヘンで初演(3回上演、うち2度目は短縮版)されたました。その後同じオリジナルのかたちで上演されることはなく、1779年以降、いくつかのカット、レチタティーヴォの語り芝居への変更を施したドイツ語上演が、1780年代後半までひろく行われました。モーツァルトを愛した街、プラハで上演されたのは1796年、モーツァルトの死後のこと。この時に作られた楽譜資料が2つ残されており(Namest、Oels)、このヤーコプスの演奏はNamest版に基本的に準拠しています。このNamest版には、ドイツ語の歌詞とオリジナルのイタリア語の歌詞が併記されており、新モーツァルト全集(NMA)がこのオペラを出版した際の土台となっています(ただしNMAのオーケストレーションはNamest版よりもシンプルな、モーツァルトのオリジナルに近いもの)。このNamest版では、オリジナルのオーケストレーションはかなり大がかりなものへと変更されています。特に顕著なのが、アリアの伴奏で、管楽器パートに著しい充実がみられること。このオーケストレーションの変更を誰が手掛けたのかは不明なのですが、ヤーコプスは、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』や『ティート』がプラハで初演され、この地から世界に広まったことを例にとり、この『偽りの女庭師』もプラハで上演されてから再び上演される機会が増えたことなどを考慮して、プラハにのこされたNamest版に基本的に基づいたと語っています。ただし、Namest版でも見られるいくつかのカットは適宜修復を施していること、さらに、録音時にはセリフや歌詞などにも演奏効果などを考えて小さな変更を加えるなど、様々な資料にあたった上で練りあげられた注目の演奏となっています。(キングインターナショナル)


 いゃあ、楽しいオペラに生まれ変わったようです。このオペラは意外と多くの録音がありますが、私は断トツで今回のヤーコプス盤を推薦します。

 「作曲家が書いたもの以外は、要らない」という原典拘り主義の方にはダメでしょうけど、このCDは、フィガロなどに比べるとやや華やかさや魅力に欠けてしまうこの若き日のモーツァルトの代表的な作品を再評価するにふさわしいものだと思います。

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12月5日 モーツァルト命日〜フンメルは正当な後継者

フンメルの生涯の話を書き直しましたが、まだ訳が間違えて理解しているところもあるかもしれません。
また機会をみて改定しようと思います。

今日はフンメルの師匠、モーツァルトの命日ですね。世界各国でレクイエムが演奏される日です。

個人的にレクイエムの今現在での一番は、リリング指揮の1991年録音のレヴィン版の方。
キリエ ニ短調 K.341がついているけど、両曲ともオーソドックスな中庸なテンポ、演奏。
ただし、レヴィン版のラクリモーザとアーメンフーガの作り方が、モーンダー版よりジュスマイヤーの作った部分を利用している点で安心感がある。

リリングには、1979年のジュスマイヤー版もあるけど、これも中庸な演奏だった。
ジュスマイヤー版では、デイヴィスのロンドン交響楽団は激しさが好きだったが、1991年の重厚なバイエルン響との演奏がすきかな?

さて、フンメルの師匠はたくさんいます。一番最初は父親。二人目がモーツァルト。ただし2年間住み込みで生活をともにし、モーツァルトの代わりにオペラのリハーサルの伴奏を務めたり助手的な役割もしていました。
その後には、クレメンティ、サリエリ、ハイドン、アルブレヒツベルガー... 当時の一流どころに学んでます。

作風は、ハイドンに近い教会音楽を別にすると、一番の影響力はやはりモーツァルトとなります。

ロマン派に影響与えるメランコリックでドラマチックが楽曲も作っていますが、根本は死ぬまで職業作曲家で古典派に属していると言えます。よくロマン派の作曲家として紹介している書物や記事を見かけますが、断じて言えます、彼は古典派です。まぁロマン派自体が古典派の形式の上に成り立っているので、厳密に区別する必要はないんですが....

さて、古典派のモーツァルトと同時代の音楽も沢山聴ける時代になりました。一聴するとモーツァルトと言われても解らないか曲もありますが、いろいろ聞いた中ではやはりフンメルが一番近い雰囲気を継承しています。

今日はそんな彼の初期の作品を

ヴァイオリンとピアノの為の協奏曲ト長調,Op.17を聴いてみてください。モーツァルトの新発見曲と言われても信じてしまいそうになりますね。 


この曲の録音は結構あります。お勧めはこれかな?
華やかなOp.110の協奏曲とカップリンクで、演奏も録音も最高です。ハワード・シェリー(ピアノと指揮)/ロンドン・モーツァルトプレイヤーズ


もう一曲、小ピアノ協奏曲ト長調,Op.73(原曲はマンドリン協奏曲)も、モーツァルトの10番代の協奏曲の雰囲気があります。最近のお勧めは、オリジナル楽器での演奏。キラキラした真珠のフンメルです。 アレッサンドロ・コンメラート(フォルテピアノ)/ディディエル・タルパイン(指揮)


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ヨハン・ネポムク・フンメルの生涯−1.幼少期とモーツァルトとの生活

以後の記述は、The Hummel Projectの記事をメインに加筆・改定しております。

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 ヨハン・ネポムク・フンメル(以下ヨハン)はウイーンから東へ80kmほどの距離に位置するハンガリーの都市:プレスブルク(現在のスロバキア共和国の首都:ブラチスラヴァ)で、1778年11月14日に生まれた。

 彼の父親はヨハネス・フンメルという音楽家で、ヨハンが生まれる4か月前に三歳年上の妻:マルガレーテと結婚したばかりであった。

 父ヨハネスは、実業家の父(ヨハンの祖父):カスパルにウイーン留学へ送り出され、音楽の勉学を始めた。その後ヨハネスは優れたヴァイオリニストとなり、さらに24歳の時には新劇場の音楽監督を務めるほどになった。

 ヨハネスは当時ヴァルトブルク(プレスブルクの隣町)で音楽監督の職を得ていたが、より良い職場と環境を目指そうと思い、ヨハンの誕生の1年後には、家族でプラハへ移動した。

 彼らはすぐに彼らの幼い息子が、音楽のための特別な才能を持っていたと感じていた。4歳の時にはヨハンがバイオリンを習い、その後少しずつピアノのレッスンを開始し、歌のレッスンも直接父親から学んだ。ヨハンの才能は驚異的であり、7歳にして様々な曲を弾きこなすピアニストになっていた。



 1786年に、父ヨハネスは、オーストリア・ハンガリー帝国の首都ウイーンで、後のモーツァルトの『魔笛』でコンビを組むことになるシカネーダーが管理するアウフ・デア・ヴィーデン劇場の仕事に音楽監督として参加する機会があった。

andeawien102s ヨハンは神童と言えた。3歳のとき、その2倍の歳のほとんどの子供より高い能力を示したといわれる。その能力は、自分の教育レベルを超えており、ヨハンの才能をどうにかしたいと思っていた父ヨハネスは、このウイーンでの仕事をチャンスと捉え、家族と共にウイーンに移動した。そこはモーツァルトの天才が花開き、異常な熱狂に包まれていた時期であった。


 おそらくシカネーダーの紹介であると思われるが、ウイーンに来てすぐにモーツァルトとの知遇を得られることとなった。そして父ヨハネスは自分の息子ヨハンのの音楽的才能の事をモーツァルトに伝えたものと思われる。モーツァルトは「そんな子がいるなら是非見てみたいから、今度連れてきなさい」とヨハネスに伝えた。

 彼はすぐにヨハンを連れて、モーツァルトの住むアパートへ赴いた。

 当時はピアノ演奏にオペラの作曲にと多忙を極めていたモーツァルトであったが、ヨハンの演奏をじっくりと聞いた。ヨハンは7曲を披露したらしい。

 モーツァルトは、ヨハンの才能に驚き、感銘した。そして、ヨハネスは思いもしなかった言葉を聞くことになった。
「ヨハネス、君の息子の才能は大したものだ。もう少しで誰にも負けない演奏家になれる。それまでは僕が面倒をみるから。ああ、レッスン料はいらないよ。ヨハンには僕たちと一緒に生活してもらい、常に僕のそばに置いてほしいんだ。いいね?」


 モーツァルトとのレッスンは、単なるピアノの教師と生徒の範囲を大きく超えたものであった。
 モーツァルトは自作を弾いて聞かせ、そしてヨハンにも弾かせた。時には個人の集まりで連弾したり、演奏会の助手的なこともヨハンに経験させている。ヨハンは直にモーツァルトの演奏法をまなび、楽曲の理解、構成、形式の事、作曲の基礎、そしてモーツァルトの精神を浸透させていった。

Wolfgang-amadeus-mozart_1-640x940 特にドン・ジョヴァンニの作曲準備の際には、多くの歌手のレッスンの伴奏に弾かせたりもしたらしい。こうなると弟子というよりは人手が足りないモーツァルトの都合の良い助手である。

 しかし、モーツァルトの家には多くの著名人が集い、多くの音楽家も集まったのはヨハンにとっては、変えることのできない体験であり、肥やしとなったことであろう。ディッタースドルフヴァンハル、そして後に大恩師となるハイドンの知遇を得たのも、彼らがモーツァルト家に出入りしていたからこそである。

 モーツァルトがボーリング(九柱戯)やビリヤードをしながら、音楽談義をしたり、音楽界の出来事、音楽批評をしていたらしく、ヨハンもそこに同席させていたらしい。そこから学ぶことも多い事をモーツァルトは教えたかったのである。

 そしてそんな間に次々と名作を生み出していくモーツァルトの全盛期を目の当たりにしていたのである。

 ヨハンにとっては無くてはならない、貴重な体験でした。ここまでモーツァルトの精神を浸透させた人は、他にはいないのである。


 こうして慌ただしいモーツァルト家での生活が2年が経った。モーツァルトを取り巻く状況は一変しており、政治的不安も重なって、彼の財政的状況は逼迫していった。またモーツァルトの父:レオポルトが無くなり、モーツァルトの息子の誕生など、混乱した状況に陥って行った時期、モーツァルトはヨハンの独り立ちを提案することとなる。

 1788年、モーツァルトはヨハネスとヨハンに成功を約束し、そして自分が経験した成功事例や失敗事例を教示しながら、ヨーロッパへの大演奏ツアーを提案したのだった。


 ヨハネスは、その指示・提案に従い、ヨハンを伴ってヨーロッパ旅行の計画を立てた。そして実行していくのである。この旅は4年に渡って続き、ウイーンに戻ってきたヨハンは著名人となっていたのである。

a8cb8b1d288c4910238bbbd99108d50e_sにほんブログ村 クラシックブログ クラシック作曲家へ

今日はルイ・シュポーアの命日です。

LouisSpohr今日はルイ・シュポーアの命日です。没後153年。

ルイ・シュポーア(Louis Spohr, 1784年4月5日 ブラウンシュヴァイク - 1859年10月22 日 カッセル)

本来の氏名はドイツ語でルートヴィヒ・シュポーア(Ludwig Spohr)というそうです。


没後150年の年に向けて多くの録音がなされましたので、最近ではあらゆるジャンルの彼の作品を聞くことができるようになりました。作風などの感想は過去に記載しました(珍味なソナタ シュポア唯一の「ピアノソナタ」)が、陰々鬱々としてなかなか盛り上がらない、

我慢の美学? 的音楽。

もしくは

言いたいことがはっきり言えない音楽? 

を書く人だという認識が、個人的に持っています。

ヴァイオリンのヴァルトォーゾですから、ヴァイオリンの為の作品が多いですが、彼はほぼすべてのジャンルに作品を残し、さらに「複合弦楽五重奏」とか、弦楽四重奏のための協奏曲とか、珍しい作品も残しています。

モーツァルトの生前に誕生し、オペラ界ではワーグナーが「タンホイザー」「ローエングリーン」「トリスタンとイゾルデ」を発表した時代も生き抜いていました。

個人的に好きな曲を紹介。
陰々鬱々なテーマが、混とんとしていって、ずっと霧がかかったような音楽....
後期の名作です。

ピアノ三重奏曲第1番ホ短調,Op.119(1841)


また、アマゾンで検索したら珍しいものもありました。こんなのもあるんですね。

1859 のルイ・シュポーア肖像画の博士の人の骨董品の印刷物
 

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ツェルニーの編曲による「モーツァルト:レクィエムのピアノソロ版」 世界初録音

 珍しい録音のCDがリリースされたので紹介。モーツァルトのレクイエムのピアノソロ編曲版。しかもその編曲者は、あのピアノ演奏の大家で、偉大な教育者、ベートーヴェンの弟子でリストの師匠。現代のピアニストの大方はこのツェルニー ~ リスト の系譜ではなかろうか。

 これまでリスト編曲の「ラクリモーサ(涙の日)」とか、レクイエムの一部は録音され聞くことができたが、全曲をツェルニーの編曲版で聞ける日が来るとは思わなかった。

 カール・ツェルニー(Carl Czerny, 1791年2月21日 ウィーン‐1857年7月15日 ウィーン)は、オーストリアのピアノ教師・ピアニスト・作曲家で、ピアノを習ったことがある人にとっては、嫌いになってしまうほど厄介な練習曲が印象強いかもしれないが、交響曲から宗教楽までほぼ是ジャンルにわたって作品を残している。作品番号は861に上り、未出版のものを含めて1,000曲以上の作品を残した多作家であっただけではなく、多くの弟子をもち、演奏活動もして、猫をたくさん世話していたというから驚き。いつ寝ていたのだろう、というほどの勤勉家でもあったらしい。
 以前ここでも紹介したことがあるが(記事)、 フンメルに師事もしており、そのピアノ作風は驚くほどフンメルのピアニズムに近い。ベートーヴェンの作風に近いのは、同じベートーヴェンの弟子でも、フェルディナント・リースの方であろう。


 演奏家の小林京子さんやこのCDの詳細は、HMVサイトで紹介されているし、CDのブックレットに詳細に解説されているので省くが、聞き始めると、あのレクイエムのイントロダクションが「あれ? フランスの印象派のピアノ曲かな」と思えるような雰囲気がある。
 終始一貫として、淡々と、ゆっくり目のテンポで綴られていく世界の中に、独特のハーモニーとシンプルなメロディーが交差し、所々で深い感情と感傷、無心、安らぎといった空気が脳内を包んでいく。

 19世紀初頭に多かった交響曲の室内楽やピアノ編曲版とは違い、ツェルニーの熱意とモーツァルトへの深い愛情・尊敬の念が感じられる。

 編曲作品でこれほど聞きごたえがあったことはない。

 企画、演奏したすべての方達と、モーツァルト、ツェルニーに感謝します。


739・モーツァルト:レクィエム ニ短調 K.626(ツェルニー編曲ピアノ独奏版)

 小川京子(ピアノ

 録音時期:2012年3月15日
 録音場所:和光市民文化センター
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)





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− クレメンティ −もう一人のピアノ教師

Muzio_Clementi少年フンメルは、1790年からロンドンに滞在している。


ハイドンは1791年から1年間滞在した。例のロンドン交響曲が披露された歴史的滞在である。
この同時期に滞在したモーツァルトの愛弟子であるフンメルとハイドンが交流を持った事は事実であろう。
事実、二人がウィーンに帰ってからは師弟関係になった。


一方、演奏実績と自作出版もあり、既に相当評価が高まっていたフンメルは、クレメンティにピアノを師事している。

クレメンティは、1781年(29歳)の12月24日ウィーンでヨーゼフ2世の前で、当時25歳のモーツァルトとピアノの競演をしているが、モーツァルトの演奏に大変感銘し、その後の作品や演奏法に影響を受けたと本人が語っている。
そのモーツァルトの太鼓判をもらったフンメルにピアノを教えたのだが、そのレッスン内容はどういうものだったであろうか?


おそらく、フンメルの巨匠的演奏は、クレメンティの教えが無くては実現しなかったのではないか?と考えられる。


べートーヴェンはモーツァルトの演奏より、クレメンティの演奏の方を評価したと言われているが、そのモーツァルトのウィーン楽派特有の軽くて華麗な演奏法と、クレメンティから始まるロンドン楽派特有のピアニスティックな力強い演奏法の両方をフンメルは学んだことになる。


フンメルは生涯に渡ってウィーン楽派的な装飾の多い華麗なピアノ楽曲を好んで多く作ったが、同じクレメンティに学んだクラーマー、カレクブレンナー、フィールドといった音楽家が持つファンタジーと演奏技巧は、フンメルにも当然あって、特にピアノ協奏曲では顕著にみられる。

ピアノを習うと出てくるクレメンティ...


ハイドンのブームに押されて日の目を浴びなかった、彼の交響曲なんかは迫力があって、個人的には大好きである。

彼の生涯は、邦訳された「クレメンティ―生涯と音楽」(音楽之友社)に詳しいし、Wikiでもある程度掌握できる。


彼が没してから、ちょうど180年が経った。

今日は師匠・モーツァルトの誕生日です。

3037793取りあえず、2年間も住み込みでピアノと即興演奏、作曲にかかる基礎を学んだ訳ですから、フンメルの作品にモーツァルトにそっくりな曲が多いのは納得できます。

というより、この時代の様々な作曲家の作品を聞いても、モーツァルトの作風に一番近い人で、その完成度も高かった人はフンメルと思っています。
特に初期のピアノ曲やピアノ三重奏曲、ヴァイオリン、ヴィオラ、フルート等のソナタはそっくりです。真似てもここまで美しい曲を書ける人がいるでしょうか? という程です。

フンメルの残したモーツァルトに関する「回想録」も残っているそうですし、下記の作品は直接モーツァルトの作品を取り上げたり編曲したものです。

Op.94◆ヴィオラとオーケストラの為の幻想曲とポプリ ト短調
 *ドンジョヴァンニとフィガロ、後宮からの誘拐の音楽が使われています。

Op.63◆グランド・セレナーデ第1番 ト長調,Op.63
Op.66◆グランド・セレナーデ第2番変ホ長調,Op.66
  *二曲とも様々な当時のヒットソング(主にオペラ)からのポプリです。ティトース序曲やフィガロのメロディーなどが取り上げられています。
これは、ワン・ドゥッカーテンコンサート(カフェでの庶民向けサロンコンサート)で、ギターのジュリアーニやヴァイオリンのシュポアらと共に演奏されたらしいです。夢のようなサロンコーンサートですね。

Op.34-3◇3つの変奏曲,Op.34の第3番「モーツァルト「後宮からの誘拐」による変奏曲 ハ長調」
S.27◇幻想曲 変イ長調,S.27(1799) 「ハイドンとモーツァルトの主題による」
Op.124◆幻想曲 ハ長調,Op.124 「モーツァルトの"フィガロの結婚"による」


S.112-113◇選び抜かれた24の序曲による四重奏曲編曲(1821) 「魔笛」序曲/「フィガロの結婚」序曲
S.138〜144 ◇モーツァルトの7つのピアノ協奏曲による四重奏曲編曲(K.466、K.503、K316a、K.491、K.537、K.482、K.456)
S.151〜156 ◆モーツァルトの6つの交響曲による四重奏曲編曲(K.504、K.550、K.543、K425、K.385、K.551)
◇モーツァルトのピアノ協奏曲7曲へのカデンツァ集 (1790s) Op.4a=K.414,Op.4b=K.415,Op.4c=K.413,Op.17a=K.595,Op.44a=K.451&K.459,Op.46a=K.537
  *その他にも交響曲のピアノソロ編曲など多数あります。

中期以降は独自のロマン性を伴った作風や、ハンガリーの民族性などが現れ、ピアノの演奏技巧も含めて独自の作曲家、演奏家としてその地位を確立しますが、ベートーヴェンほど革新派ではなく、あくまでも伝統的な古典的な作品に終始しましたし、死ぬまでモーツァルトの影響と尊敬は持ち続けていたようです。

今日1月27日はモーツァルトの誕生日。256歳です。

 
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フンメルとピアノ奏法について-2

 Chandosというイギリスのクラシックレーベルが、1987年に発表したフンメルのイ短調とロ短調のロマンチックなピアノ協奏曲のCDがグラモフォンアワードに輝いて以来、トランペット協奏曲一辺倒だったフンメルの録音物が一気に増えた。特にピアノ協奏曲は今では全作品を聞く事ができるし、ピアノソナタや小品集、室内楽も数多く発売されている。

 しかし、メジャーなレーベルからの企画は相変わらずトランペット協奏曲のままだし、CD紹介や作曲家の研究本でもフンメルについて言及されているものは少なく、彼の音楽史における重要性は多くの人々の認めるところまでには至っていないのが現実である。

 フンメルは、18世紀末から19世紀前半にかけてヨーロッパ全域に名声を馳せたヴィルトゥオーソであった。その才能は、彼が8歳の時にモーツァルトが自宅に同居させてまで教育したことからも理解できるであろう。作品(作曲)においても有名で、300を超える作品は、ピアノ曲はもちろんだが、オペラ、カンタータ、ミサ曲、バレエ曲などの大規模作品が交響曲を除くあらゆるジャンルに並んでおり、ショパンのみならず、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン等の初期ロマン派の音楽に与えた影響は計り知れないものがある。

 「ピアノ奏法」は、フンメルの晩年にあたる1828年に出版されたものであるが、全三巻444ページにわたる膨大な量のこの教則本は、当時第一級の音楽界の中心にあった人物によって書かれたものとして、19世紀前半におけるピアノの演奏法を知る上でとても重要な文献である。モーツァルトの直弟子でもあったため、モーツァルトの演奏法(トリルの用法等)を理解するうえでも重要だと思われる。


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参考
Johann Nepomuk Hummel: Piano Concerto in A Minor and B MinorJohann Nepomuk Hummel: Piano Concerto in A Minor and B Minor
販売元:Chandos




モーツァルト ピアノ協奏曲 室内楽版

モーツァルト:ピアノ協奏曲第10番&第24番モーツァルト:ピアノ協奏曲第10番&第24番
アーティスト:白神典子
販売元:BIS
発売日:2005-05-25







モーツァルト(フンメル編曲):ピアノ協奏曲第26番ニ長調 K.537「戴冠式」(室内楽版)、ピアノ協奏曲第22番変ホ長調 K.482(室内楽版) [Import]モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調 K.537「戴冠式」、ピアノ協奏曲第22番変ホ長調 K.482
著者:白神典子
販売元:Bis
発売日:2005-12-15






モーツァルト(フンメル編曲):ピアノ協奏曲第18番変ロ長調 K.537(室内楽版)、交響曲第40番ト短調 K.550(室内楽版) [Import]モーツァルト:ピアノ協奏曲第18番変ロ長調 K.537、交響曲第40番ト短調 K.550
著者:白神典子(Pf)
販売元:BIS
発売日:2006-12-11





(フンメル編曲室内楽版)ピアノ協奏曲第20番&第25番 白神典子(Pf)、ほか
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ長調 K.466、ピアノ協奏曲第25番変ホ長調 K.503
著者:白神典子
販売元:Bis
発売日:2003-11-21
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 フンメルはモーツァルトのピアノ協奏曲を7曲、交響曲を6曲、ベートーヴェンの交響曲の7番まで、ハイドンの交響曲を2曲に加え、他の同時代の作曲家の作品の数多くをピアノ、フルート、ヴァイオリン、チェロという室内楽用に編曲した。 

 白神典子さんは、ショパンの協奏曲やベートーヴェンの交響曲の室内楽編曲版を録音しているが、モーツァルトのシリーズは弟子のフンメル版を採用している。

 フンメル版は、おそらく自分が弾いたであろう装飾を多分に加筆しており、当時のモーツァルトのピアノ演奏方の見本ともいえるかもしれない。もしくは、実際にモーツァルトから学び、ピアニストデビューもモーツァルトの楽曲でしたので、モーツァルトの演奏法なのかも知れない。

 このシリーズは、演奏、録音双方において文句のつけようが無い。なんといってもモーツァルトの協奏曲へのフンメルのカデンツァはどれも優秀で、20番、22番、24番のものは特に傑作。これらが聞けるだけでも価値があります。

 10番は2台のピアノパートを1台用にし、他の曲もフンメルスタイルとでも言うべき多くの装飾を施され、華麗なピアノパートになっています。

 こうした編曲演奏自身に違和感を感じてしまう人は少なくないでしょうが、当時はラジオもレコードも無く、楽譜が全て。オーケストラ作品を再現しようにも無理があるので、仲間で演奏して楽しめるようにする習慣があったからこその作品。


 交響曲は40番のみ録音されていますが、是非他の曲も録音してほしいと思っています。

フンメルの最初の一枚

フンメルを聞いたことがない方への最初の一枚としてのお勧め盤。
ピアニストでもあり、モーツァルトの弟子でもあり、ショパンに影響を与えたというフンメルの形容詞にぴったりの作品です。

Johann Nepomuk Hummel: Piano Concerto in A Minor and B MinorJohann Nepomuk Hummel: Piano Concerto in A Minor and B Minor
販売元:Chandos
発売日:1992-10-28
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フンメルはクラシック音楽ちょっと聞きます、程度の方には知名度無しでしょうが、クラシックファンの間ではかなり王道の作曲家。

トランペット協奏曲はハイドンの有名曲とカップリングになることも多く、日本では一番知られているでしょうが、フンメルの代表作といえるのがピアノ協奏曲、しかもこの2曲でしょう。

このフンメルにはピアノ協奏曲が8曲有り、そのうち生前出版された曲が5曲あります。つまり第5番までしか番号が与えられていません。

ここに収録された2曲は、第2番と第3番ということになります。

第2番 イ短調 Op.85
編成は、フルート、2オーボエ、2クラリネット、2ファゴット、2ホルン、2トランペット、ティンパニ、弦という古典派の標準的なもの。

エステルハージ家の楽長を辞してしばらくウィーンで舞曲や舞台作品、室内楽の作曲家として大いに人気を集めていました。妻に進められてピアニストとしての舞台にも復帰し、1816年のドイツ演奏ツアーは大成功を収め、ここから「ピアノの巨匠」の地位を不動のものとしたのです。このツアーで演奏されたのがOp.85の協奏曲です。

第3番 ロ短調 Op.89
編成は、Op.85とほぼ同じですが、ホルンが4本になっています。これは第2楽章のロマンティックで幻想的な部分で活かされています。
楽曲はベートーヴェンの影響もあるのか、力強く、ピアノソロはよりブリリアントでショパン的になっています。1819年、ワイマールの宮廷楽長に就任した年に作曲されました。
なお、ショパンのピアノ協奏曲は、この曲の影響がかなり反映されています。

このアルバムはフンメルの近年のブームのきっかけともなったアルバムでかつ最大のヒットアルバムでしょう。

音楽史における「ピアノヴィルトゥオーゾ」を最初に名乗り、また世間に認められた技巧的で華やかなピアノが活躍する古典派協奏曲の代表作で、この時期の作曲家では唯一のライバルがベートーヴェンというのも頷けます。

楽曲は2曲とも短調ですが、悲しいとか暗いとかではなく、美しいという表現がぴったりで、師匠のモーツァルトの伝統と次世代のショパンを予見させる雰囲気を持っています。

演奏も録音も優秀で、当時のグラモフォン賞受賞アルバム。

フンメルを聞いてみようかなと思われる人のファースト・チョイスにオススメです。

オルフェウス・バッカス フェスティヴァル

 ドイツのYahooコミュニティーのメンバーより、オルフェウス・バッカス フェスティヴァルの情報が届きました。

 今回のテーマは「フンメルとその友人たち」。
ベートーヴェンをはじめ、師匠のハイドンとモーツァルト、シューベルト、ショパンらの作品と今回の主役であるフンメルの作品が演目リストに並んでいます。

 フンメルの録音に積極的なシャンドスレコードでフンメルの演奏で評価を受けている、シュテファン・ハフやハワード・シェリーらピアニストに加え、初の総合的なフンメル伝記を書いたマーク・クロルらが講演したり、メッセージを伝えるそうです。

 詳細は、英語の案内チラシをご覧ください。

PDFチラシ
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フンメル研究ノートというサイトは、クラシック音楽鑑賞を趣味とする一個人が、ヨハン・ネポムク・フンメルの音楽の魅力に取り付かれ、永年かけて収集した情報・データをメモ代わりに掲載している「フンメル研究ノート」のレビューページにあたります。フンメル研究ノートは、あくまでもCD解説、書籍、辞書などから集めた情報を盛り込んだ継ぎはぎの情報を集めたものですので、事実とは違っていたり、解釈が違っている箇所も多いと感じていますが、もっと多くの日本人にフンメルの音楽の魅力を知ってもらいたいと思い公開しています。もっとフンメルの情報が知りたい。またはご興味がある方は、本サイト「フンメル研究ノート」を覗いてみてください。よろしくお願いいたします。

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